首都の鬼門を守る港区芝エリア・増上寺の歴史を辿る | 全国の不動産投資・収益物件|株式会社リタ不動産

首都の鬼門を守る港区芝エリア・増上寺の歴史を辿る

2025-07-22

 

明治維新まで「東京」は「江戸」と呼ばれ、現在の皇居は江戸城でした。この江戸城から見て南西の方角にあたる港区芝エリアは、古くから「鬼門」とされてきました。鬼門とは、陰陽道において邪気が入りやすいとされる方角のことで、古来よりその影響から身を守るための様々な対策が講じられてきました。
本記事では、この首都の鬼門を守ってきたとされる増上寺の歴史を辿りつつ、増上寺がある港区芝エリアの現代における賃貸市場の魅力とニーズについて深掘りします。

東京の中心から見た「鬼門」と増上寺の役割

江戸城のような大規模な城郭においても、鬼門対策、つまり鬼門封じは非常に重要な課題でした。鬼門封じ(きもんふうじ)とは、風水や陰陽道に基づき、不吉とされる鬼門の方角(一般的には北東の丑寅(うしとら)の方位)を封じることで、邪気や災厄を避ける日本の伝統的な習慣です。これに対し、反対の南西(坤(ひつじさる)・未申(ひつじさる))の方角は「裏鬼門」と呼ばれ、こちらも悪霊や災いが入りやすいと考えられていました。特に、首都である東京では、その鬼門封じの重要性が強調されていました。

徳川家康は、江戸城の鬼門である北東と裏鬼門である南西に、浅草寺や寛永寺、そして増上寺といった重要な神社仏閣を配置することで、江戸を守護する鬼門封じの役割を担わせました。中でも増上寺は、徳川家康によって江戸城の裏鬼門である南西の方角に建立されたのです。徳川家の菩提寺として、江戸幕府の安定と繁栄を祈願する、まさに要の寺院でした。 (※補足:方角を見る場合、一般的な地図では「偏角」と呼ばれる東西南北のずれが生じます。例えば東京では約7.00度、大阪では約6.50度ずれるため、厳密な方位を測る際には注意が必要です)

ちなみに、北東には神田明神などが、南西には日枝神社なども配置され、それぞれが江戸の要所を守る役割を果たしていました。

都内屈指のパワースポット!増上寺を擁する港区芝エリアの魅力

港区芝エリアは、東京都港区に位置する地域で、ビジネスや居住地、観光地などさまざまな顔を持つ魅力的なエリアです。以下に芝エリアの主な特徴や魅力について詳しく説明します。

1. 地理的位置

東京タワーやお台場、六本木といった都心の主要スポットに近接しながらも、広大な芝公園と歴史ある増上寺が共存し、都心でありながらも自然と文化が融合した落ち着いた環境が広がります。

2. 交通アクセス

JR山手線や都営地下鉄三田線、都営地下鉄浅草線など、複数の交通機関が利用可能なため、交通アクセスは非常に便利です。大手町、新橋、品川といった主要なビジネス街へのアクセスも良好で、ビジネスパーソンの通勤にも最適です。

3. 観光スポット

エリアのシンボルである東京タワーには多くの観光客が訪れます。芝公園は広大な緑地公園として、ランニングやピクニックを楽しむ人々で賑わい、桜や紅葉の季節には特に美しい景色を楽しめます。

4. ビジネスエリア

港区芝は、IT企業、広告代理店、法律事務所など、多くの企業本社が集まるビジネスの一大拠点でもあります。ビジネスマンにとって働きやすい環境が整備されています。

5. 飲食店やショッピング

芝エリアには、多彩な飲食店、カフェ、居酒屋が集まり、国際色豊かなグルメを堪能できます。特に、大門周辺は「町中華の激戦区」としても知られ、名店が軒を連ねます。近隣にはショッピングモールや商業施設も多く、買い物にも便利です。

港区芝エリアは、ビジネス、観光、居住の各側面で多様な魅力を持つ、非常に人気の高い地域です。交通の便の良さ、充実した生活基盤、そして文化と自然、現代的なビジネスが融合するこの地域での生活や観光は、まさに魅力的と言えるでしょう。

その中心となっているスポットの一つが、都内屈指のパワースポットとしても知られる増上寺です。首都を裏鬼門である南西の邪気から守ってきた増上寺は、都民を守る存在ともいえます。元来、増上寺は勝運、厄除け、商売繁盛、家内安全など、様々なご利益があることで信仰を集めてきました。

浄土宗の増上寺ですが、もともとは室町時代の1393年に、皇居に近い麹町貝坂(現在の平河町付近と推定)にあった真言宗の光明寺が改宗されたものです。その後、関東の念仏布教の中心道場となり、中世には千葉氏や佐竹氏などの庇護を受けました。
徳川家康が江戸に入府してから縁があり、徳川氏の菩提寺に定められます。関ヶ原の戦いを控えた1598年(慶長4年)には現在地に移転し、広大な伽藍が造営されました。当時の増上寺は、寺領1万石余、敷地20数万坪、山内寺院48、学寮100数十軒を数え、常時3000人もの僧侶が修学していたと伝えられています。

増上寺の正門にあたる「三門」は、正式には「三解脱門」と呼ばれ、「貪欲」「憎悪」「愚痴」という三悪を解き放つという意味が込められています。慶長10年(1605年)に建立されたものの強風で倒壊し、元和9年(1623年)に2代将軍秀忠によって再建されました。この三門は戦災にも耐え、現存する江戸初期の建造物として非常に貴重であり、国の重要文化財にも指定されています。入母屋造りの堂々たる屋根を備え、2階内部には非公開ながら釈迦三尊像などが安置されています。

なお、門前一帯の地名、もしくは都営地下鉄大江戸線の駅名にもなっている「大門」とは、この「三門」の東200メートルに立つ総門のことです。こちらはコンクリート製ですが、元々は増上寺が芝に移転した際に、江戸城の大手門から移築された門が立っていました。
境内に入ると、まず目を引くのが鐘楼堂です。ここには、高さ一丈(約3メートル)、重さ4000貫(約15トン)にも及ぶ、東日本最大の梵鐘が現存しています。品川で製作されましたが、その巨大さゆえか、7回目の鋳造でやっと完成したという難事業だったと伝えられています。その鐘の音は遠く熊谷や安房上総(現在の千葉県南部)まで届いたと言われています。

増上寺の南側には、九州、すなわち「西国」の諸大名の屋敷が集まっていました。例えば、芝2丁目、3丁目一帯には広大な敷地を占めていた薩摩藩をはじめとして、筑後久留米藩、伊予松山藩などが軒を連ねていました。今日、三田を代表する慶應義塾大学の敷地も、江戸時代は肥後島原藩・松平主殿頭の中屋敷だったのです。

現在、増上寺には、本堂である大殿(昭和49年に再建)や、秘仏である黒本尊を祀る安国殿など、いくつかの建物があります。大殿の中に座ると心が落ち着き、ここから眺める境内の景色は常に清められており、都心にいることを一時忘れさせてくれるでしょう。

発掘された霊廟

増上寺の北側には、徳川将軍家の墓所があります。ここには、2代将軍秀忠(台徳院)、秀忠夫人・崇源院、14代将軍家茂(昭徳院)、家茂夫人・静寛院宮など、6人の将軍とその家族たちが静かに眠っています。

夫妻揃って埋葬されているのは、2代秀忠と崇源院、6代家宣と天英院、14代家茂と静寛院宮の3組です。特に注目すべきは、浅井長政と織田信長の妹・お市の方の間に生まれた、いわゆる浅井三姉妹の末娘である崇源院(お江)です。上の姉は豊臣秀吉の側室として有名な淀殿、下の姉は京極高次に嫁いだお初です。母も姉の淀殿も戦国の世の犠牲となりましたが、お江は天下人の徳川家に嫁ぎ、自らも3代将軍家光の母となりました

もう一人の将軍正室、静寛院宮は、幕末史を彩るヒロインの一人、「和宮(かずのみや)」として広く知られています。孝明天皇の妹宮であり、有栖川宮熾仁親王との婚約が決まっていながら、公武合体を望む勢力に推され、14代将軍家茂に降嫁しました。静寛院宮にとって、京とは異なる江戸城内の生活は厳しく、病弱で早世した夫・家茂亡きあとは、さらに心労が多かったと推測されます。しかし、戊辰戦争に際しては、兄孝明天皇の崩御後即位した明治天皇に対し、最後の将軍・慶喜の助命を乞う書状を送り、「徳川家の夫人」としての務めを見事に果たしました。
広大な寺域を誇った増上寺でしたが、徳川時代が終わり明治維新を迎えると、徐々にその規模を縮小していきます。大正6年(1917年)の古地図を見ると、現在の東京タワーや東京プリンスホテルのあたりはまだ増上寺の敷地内であったことがわかります。(もちろん当時、東京タワーは存在しません)。

※この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。「時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」使用上の注意・ネット上での使用について」の記述に則って掲載しています。

昭和33年(1958年)、東京プリンスホテルとゴルフ場へ敷地が売却されることになり、将軍や夫人たちのお墓は大改葬されることになりました。その際、32歳で亡くなった14代家茂夫人・静寛院宮(和宮)の遺骸が発掘されました。伝えられるところによると、彼女の遺骸は、21歳で亡くなった夫・家茂の写真を手に握っていたといいます。しかし、外気に触れたため一夜にして消えてしまったという、神秘的なエピソードが残されています。

東京都港区芝・港区芝公園の賃貸ニーズ

東京都港区芝・港区芝公園エリアは、高い人気を誇る一方で、賃貸市場には独特のニーズが見られます。
不動産ポータルサイト「LIFULL HOME'S」への掲載情報(※2025年6月現在のデータに基づくと推定)によると、このエリアの賃貸物件は「ワンルーム・1K・1DK」が全体の7割以上を占めています。

不動産ポータルサイト「LIFULL HOME'S」への掲載賃貸物件数は

  • アパート6件
  • マンション1,671件
  • 一戸建て0件
  • その他335件

同じく「LIFULL HOME'S」のユーザー間取りニーズ調査によれば、港区芝・港区芝公園エリアで賃貸物件を探すユーザーの希望は以下の通りです。

  • ワンルーム・1K・1DK:66.5%
  • 1LDK・2K・2DK:20.5%
  • 2LDK・3K・3DK:10.5%
  • 3LDK・4K・3DK:2.1%

このデータからは、ファミリー世帯よりも単身者やカップルの需要が高いことがうかがえます。しかし、需要と供給のバランスを見ると、「ワンルーム・1K・1DK」や「1LDK・2K・2DK」といった物件はすでに需要が満たされている傾向があります。
そのため、このエリアで賃貸経営を考えるのであれば、むしろ「2LDK・3K・3DK」や「3LDK・4K・3DK」といった広めの物件の方が借り手が付きやすい可能性があります。
東京都港区芝・港区芝公園周辺の相場を見ると、賃貸入居者の希望家賃は9万円台から20万円台と幅広く、駅までの希望徒歩圏は5分以内とするユーザーが多い傾向にあります。
このエリアで収益物件をご検討中の方は、以下のリンクから最新の物件情報をチェックできます。

東京都港区芝・港区芝大門 収益物件をチェック
 
私たちリタ不動産は、全国の不動産投資・収益物件(投資物件・収益不動産)を取り扱う不動産会社です。社名の『リタ』は「利他の精神」「自利利他」から名付けられたもの。その背景には、自分の利益を最優先するのではなく、お客さまの利益を最優先としたサポートや提案を行うというスタンスがあります。
「お客さまの利益のために努力することが、自らの利益につながる」という考え方ですので、押し売りをはじめとしたこちら都合のアプローチは一切行っていません。
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弊社の目的はお客さまの資産形成をお手伝いすることです。収益物件の売買を通じてお客さまのビジネスパートナーとして「常に誠実である」ことをお約束します。不動産投資は長い目線で取り組まねばならない投資です。棟目の購入・売却から資産入れ替えの再購入まで末永くお付き合いするために、メリットのみならずリスクやデメリットもしっかりと告知します。 物件情報は精査したもののみ発信するほか、節税相談や金融機関のご紹介など、不動産投資を通じた資産形成をトータルサポート。お客さまが安心して不動産投資に取り組めるように尽力いたします。気になること、不安なことがあればいつでもお気軽にご相談ください。
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